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ひいじいちゃんを探し出せ!

2025年09月27日
スタッフの日常

私の故郷は鹿児島県薩摩川内市です

昨年の帰省時に叔母の家で曽祖父の若い頃の写真を見つけました

写真の裏側に、曾祖父の氏名、撮影日、写真館の名前が記してありました

大正2年5月25日

熊本市記念碑前 正木凱旋館

鹿児島の曽祖父が110年以上前に熊本で暮らしていたなんて驚きでした

曽祖父は私が生まれる6年前に鬼籍に入り、写真でしか見た事のない存在の人でしたが、この件ををきっかけに曾祖父の事をもっと知りたいと思うようになりました

まずは、正木凱旋館を調べましたが、なにしろ110年以上前の写真館です

インターネットで検索しても詳細な情報が出てきません

そして、熊本市記念碑前って、、、何の記念碑?

熊本市立図書館で明治、大正期の地図や書籍をもとに調べたら直ぐに判明しました

征清紀念碑

日清戦争における第六師団の活躍を記念し1899年に山崎練兵場(現在の辛島公園辺り)に建立

しかし、太平洋戦争時に金属類回収令により供出されました

熊本市博物館には紀念碑建立時の資料が展示されています

それにしても、インターネットでも詳細不明な遠い昔の資料をどうやって見つけ出すか、、、

少しでも手掛かりを探るために国立国会図書館に登録する事にしました

登録には身元を証明する個人情報の提出が必要で、本登録されるまで約3週間を要しました

ここで正木凱旋館の知りたかった情報を入手しました

征清紀念碑がすぐ目の前に見える場所にお店を構えていたんですね

こちらの写真館は現在は営業されていないみたいですが、どの辺りにお店を構えていたか、その当時の町並みがどの様なものだったのか窺い知ることができました

ここに曾祖父が写真を受け取りに訪れたのかもしれないと思うと何だか不思議な気分になります

次は、曽祖父の軍服姿から色々調べてみました

当時の旧日本陸軍の標準的な格好で、制帽に軍衣、背嚢(はいのう:バッグ)、ベルトに2つの弾薬薬盒(ごう)、足元は布を巻いた脚絆(きゃはん)姿です

手に持っている銃は三八式歩兵銃で銃剣装着時の長さ1663mm

地面につけた状態で銃を持っている為大体の身長が分かります

叔母や父の記憶だと、ガッチリした体型だったという事なので、筋肉質だったのではないかと思われます

襟に23の数字

。第六師団の歩兵第23連隊所属である証です

父親は幼い頃、曽祖父が熊本鎮台に所属していたと聞いた事があるそうです

熊本鎮台とは第六師団の前身であり、西南戦争時の組織の名称です。西南戦争では難攻不落の熊本城に籠城して苦戦の末西郷軍を退けたことからその名は轟き、組織変更後も巷ではそう呼ばれていたのかもしれません

歴史を感じます

叔母は、曾祖父は志願して入隊したと聞いたそうです

この当時は徴兵制で、20歳になると徴兵検査が実施され、その合格者の中から抽選で兵役に服する人が選ばれていたという事なので抽選に関係なく自ら志願して入隊したのでしょうか

曾祖父の享年から遡ると撮影時の年齢は21歳で、徴兵対象であったので実際はそのままの流れで入隊したのではないでしょうか

ここまでは、ある程度調べられましたが、大きな謎が残っています

ひとつ目は、この写真が撮影された場所です

写真をカラ-化すると、柵の後ろは堀、池、湖、湿地帯、川、または田んぼ、その向こうは山か林に見えます

よって候補地も、熊本城周辺、水前寺成趣園、八景水谷、江津湖と挙がり、実際に足を運んでみましたがどうも違うようです

もしやスタジオ撮影ではないかと思いもしましたが、、、どうしてもスタジオには見えません

ChatGPTで背景を作成しましたが、元が傷んだ写真では期待した成果は出ませんでした

そこからまた考え直してみました

銃を持った姿で撮影されてる、、、訓練中、、、訓練所、、、射撃訓練所⁉

調べたら3カ所ヒットしました

漆畑陸軍射的場(藤崎台辺り)

小峯原射的場(熊本市東区小峯)

春日射撃場(熊本市西区春日)

その当時の諸々の事情から春日射撃場が可能性があると考えて、明治、大正時代の射撃場の周辺を国土地理院のアプリや古写真で調べたら低湿地、田んぼ、畑だったみたいです

地理院タイル(土地の成り立ち・土地利用 (明治期の低湿地))をもとに加工して作成

https://maps.gsi.go.jp

緑の部分が春日射撃場のあったエリア

現在も区割りに沿って道が通っており、ここだけ斜めになっているのが分かります

射撃場まわりの茶色っぽく塗られた箇所は低湿地、田んぼや畑があったエリア

射撃場西端だった独鈷山の麓

パチンコ店横の道路奥の正面に見えているマンション辺りまで射撃場が延びていました

全く違う場所で撮影された可能性も高いですが、113年前にこの場所に訓練で来た事もあるかもしれませんね

ふたつ目の謎は、なぜ熊本に配属されていたのか、です

鹿児島には、歩兵第45連隊があり、地元での徴兵検査ならそのまま鹿児島で配属ではなかったという事でしょうか?

熊本の歩兵第23連隊の配備計画に沿って熊本に配属されたのでしょうか?

どういった基準で配属を決定しているかが、その当時の軍事関連の公文書が読めるアプリ等で調べてますが現時点では不明です

本籍地の鹿児島県社会福祉課恩給係に軍歴証明書の発行申請を行えば、より詳しく知ることが出来るそうです

写真が撮られた年は、最後の征夷大将軍だった徳川慶喜は存命中

翌年は第一次世界大戦が勃発

桜島の大正大爆発もあり、10年後は関東大震災

医療が発展途上のこの時代の平均寿命は43歳で、誕生してから生き延びていくのが大変でした

職業婦人が増え始め、しかし選挙権は25歳以上の成年男子のみに与えられ、カレーライスを代表とする洋食が広まり始め、地元ネタだと、金栗四三が箱根駅伝を開催、ふりかけの、「ご飯の友」で有名な株式会社フタバの創業も大正2年でした

御飯の友本舗(株)フタバ ふりかけの製造販売

曾祖父は熊本でどの様な生活をしていたんでしょうね

大正時代に曾祖父の歩いた道と、現代で私が歩いた道はきっと重なっていると思います

今、分かる範囲、想像出来る範囲で、ひいじいちゃんを探して、そして生きていた時代を調べてみました

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